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”制御不能な男”内藤哲也・報われない男から学ぶ諦めない心

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一時は落ち込んでいたプロレスも勢いを取り戻し、最盛期に肉薄する売上をあげている新日本プロレス。どの業界にも言えますが、やはりスターという存在が必要ですが、今、日本のプロレス界で一番の注目選手が「内藤哲也」選手です。

プロレス業界にも野球やサッカーと同じく今年1年活躍した選手を称える「プロレス大賞」があるのですが、そこで2016年、2017年と2年連続でMVPを受賞し、押しも押されぬプロレス界の主役に躍り出た内藤哲也選手ですが、以前は不遇の時代をもがいていました。

不遇の時代を乗り越えて、業界の主役になった内藤哲也選手から人生に役立つ教えを学びましょう。

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内藤哲也選手は元々はプロレスファンでベビーフェイス

内藤 哲也(ないとう てつや、1982年6月22日 - )日本の男性プロレスラー。東京都足立区東島根出身。血液型AB型。新日本プロレス所属。

少年時代はサッカーと野球に打ち込み、その両方でキャプテンを任されるほどの運動神経の高さを持っていました。お父さんから新日本プロレスに観に連れていかれから新日本プロレスファンになり、初めて自分でチケットを買って見に行った1997年6月5日の日本武道館大会にて、「これがお客さんの前でできてお金もらえるなんて、こんないいものはない」と思い、プロレスラーになることを決意した。Wikipediaより

新日本プロレスに入団当初から運動神経の高さに会社も期待を寄せていました。スター性とファイトスタイルから「スターダストジーニアス」直訳すると「星屑の天才」ですが、これは決め技の「スターダストプレス」と、元新日本プロレス所属だった武藤啓司選手の若手のころの動きを真似ていたところから「ジーニアス」(天才)を合わせたものだと思われます。

星屑というと響きが悪いですが、「夜空に輝く無数の星」ともとれるわけで「キラキラした星のような天才」というキャッチフレーズという意味ではないでしょうか?

いかがですか?最初に紹介した写真と同じ目を開くポーズですが、なんかアイドルというかイケメン感(あくまで感)をゴリ押ししている感じですよね。プロレスの世界では正義対悪の対立構造で試合が行われ、内藤選手は正義つまりベビーフェイスの立場でした。(悪はヒール)

若手時代の内藤選手は高橋裕二郎選手と一緒に「No Limit」というタッグチームを組み新日本プロレスの出世街道を歩むのですが、方向性の違い?ってやつですかね?内藤選手は高橋裕二郎選手と「No Limit」タッグチームを解散します。No Limitなのにリミットがあったのはご愛敬(笑)

「No Limit」時代の内藤哲也選手(左)と高橋裕二郎選手(右)

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まさかの横入り劇でスター戦線から脱落

内藤選手はシングル選手として、ベビーフェイスの王道を歩みます。しかし、先程紹介した画像でもそうですが内藤選手のテーマカラーは赤です。新日本プロレスのエースと称される棚橋弘至選手もテーマカラーが当時「白と赤」だったんですよね…。

しかも髪型も茶髪で襟足が長いロン毛…。結構かぶっています。細かく言えば違いますが、パッと見で違わないと見ている方はキャラ設定も分かりづらいです。当時の内藤選手は青春真っ直ぐキャラで「20代のうちにIWGPチャンピオンになるのが俺の夢だ!」と大声で叫んでいました。

夢のIWGPチャンピオンになる為にもがいていたところ、2012年突如新日本プロレスTOP戦線に絡んできた選手がいました。それがプロレス界に金の雨を降らす男"レインメーカー”オカダ・カズチカ選手です。

オカダ選手は内藤選手の後輩ではありますが、2012年2月に初挑戦であっさりIWGPチャンピオンになってしまいます!「おいおい!俺を差し置いて何やってんだよ!」と内藤選手は翌月の3月にオカダ選手に挑戦しますがあっさり負けてしまい、同年8月には試合中に右ひざの靭帯を怪我し、長期欠場に追い込まれ内藤選手のプロレス人生はどん底に落ちていくのです。

浮上のきっかけを掴むものの、新日本プロレス史を揺るがす大事件発生

2016年6月におよそ10ヵ月ぶりの復帰を果たした内藤選手は、その年の夏に行われた「G1クライマックス」シリーズで見事優勝を果たします。この「G1クライマックス」優勝者には翌年の1月4日東京ドーム大会でのIWGPベルトへの挑戦権が与えられます。

2013年内藤哲也選手がG1初優勝

まだベビーフェイスでよく分からないポーズとっていますね(笑)この手の形は翼を意識していたらしいです。まさに正義のイケメン路線!東京ドームのタイトルマッチに向けて仕上げてきたのですが、ここで大事件が起こります。

新日本プロレスにはベルトがもう一つありまして、「IWGPインターコンチネンタル」のタイトルマッチも1月4日に行われるのですが、そのカードが棚橋弘至と中邑真輔のエース対決に決まりました。

棚橋選手と中邑選手は新日本プロレスがどん底時代に支えた2枚看板の対決が決定しました。本来、新日本プロレスのメインイベントはIWGPヘビー級王座戦なのですが、ここでオカダvs内藤のIWGPヘビー級王座戦と、中邑vs棚橋のIWGPインターコンチネンタル王座戦のどちらをドームのメインで見たいかファン投票が行われた結果敗れてしまい、2倍の得票数の差でドーム大会メインイベントの座を逃しました。

ファン投票で試合順を決める!なんてことは前代未聞でしたので、内藤選手は「俺がメインイベントじゃだめなのか…」と感じたそうです。

決まったものはしょうがないので「結果を出して評価を変えてやる!」と息まいていましたが、ここでも負けてしまいます。人気もない…実力もない…パッとしない…そんなイメージが内藤選手についてしまいました。

何もしていないのにブーイング

ファンサービスなどお客様への対応は神対応だったんですが、人気はいまひとつ。そんな中、もがいても、もがいても結果が出ない内藤選手にファンはブーイングをするようになります。

通常、反則行為や姑息な行為をした選手に向けられるブーイングですが、内藤選手に至っては入場して普通に試合をしているだけなのにブーイングを食らう始末。当時の内藤選手のイメージは

  • 会社がプッシュしすぎる。
  • 試合内容が伴わない。
  • 熱気を呼び込む試合ができない。
  • 格好つけすぎてる。

って感じでしたね~。元々生粋のプロレスファンなので、凹みまくった内藤選手は「俺、嫌われているんですかね…?」と発言するぐらいどんどんネガティブになってしまいます。

遂に掴んだリアルガチな浮上のきっかけ、メキシコ遠征

失意のまま迷走を続ける内藤選手はプロレスの聖地であるメキシコに遠征します。

メキシコで内藤自身がインタビューされている最中に「ロス・インゴベルナブレスLos Ingobernables)」と書いたTシャツをスペインのラ・ソンブラというプロレスラーから渡されます。これはロス・インゴベルナブレスというユニットに入らないか?という勧誘でした。そこで何かを変えるため「ロス・インゴベルナブレス」のユニットに加入しました。

リングに入りたい、入りたいという気持ちが先走ってた時に、”トランキーロ(焦るな)”と言われたわけですね。

内藤『僕が行き過ぎちゃうんで、ルーシュ、ソンブラに”内藤、トランキーロ、トランキーロ”とよく言われてました。その言葉が凄く頭に残っていて、帰ってきたときにポロッと口にしたら、それが広まったんです。』

現在、「トランキーロ」というキメ台詞を使っている内藤選手ですが、当時は人気の出ない自分の将来に焦っていたところを「ロス・インゴベルナブレス」に加入することで本来のキャラクターを作りあげていくのでした。

ようやくTOP戦線に絡みだし、現代プロレスの主役になった

2015年6月、約2ヵ月のメキシコ遠征から帰ってきた内藤選手のプロレスは全てが変わりました。髭を生やし、反則や唾かけ、入場もダラダラと5分以上かけるときもありましたし、やる気のないファイトスタイル。そして見た通りリングで寝転がる始末。

このメキシコ帰りの「制御不能」のファイトスタイルは大ブーイングの嵐でした。以前なら、そんなファンの反応を気にして好かれようとした内藤選手でしたが、コメントにスペイン語を入れて独自キャラを仕上がてくるのでした。

その一つが代名詞でもある「トランキーロ」で、このころからプロレス業界で浸透し始め2015年11月、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン(Los Ingobernables de Japón)を発足。メキシコで勧誘され、入ったロス・インゴベルナブレスの日本バージョンです。

ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンを発足させたときからエースから離れた内藤選手が徐々にプロレス界の中心人物になってきたのもこのころでした。ブーイングを受けまくっている帰国後の内藤選手のVTRです。

エース格が抜けることで更に注目を浴びるようになる

それまで新日本プロレスはオカダ・カズチカ、棚橋弘至、中邑真輔、AJスタイルズの4人がTOP戦線に絡んでいたのですが、2016年1月に中邑真輔、AJスタイルズが共に新日本プロレスを退団します。

ますます内藤選手は注目をあび、ついにはオカダ・カズチカ選手を倒しIWGPヘビー級チャンピオンに輝くのでした。

名実共にチャンピオンとなり、中心になった内藤選手ですが、制御不能っぷりはとどまることを知りません。

あんなに欲しがっていたチャンピオンベルトは投げ捨てるし、

叩きつけるし、

レフェリーに暴行するし…

会社批判は毎度のことですし…やりたい放題、つまり制御不能です。しかし、ファンからの熱い支持を得ているので新日本プロレス内でのグッズ売り上げは堂々の1位です。

一番人気はTシャツ。

ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン Tシャツ (L・I・J)

そしてキャップ。

ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン キャップ

内藤選手のグッズは売り切れるのでプロレスファンなら焦ったほうが良いですね(笑)

内藤選手のプロレスから学ぶ人生に役立つ教え

腐らずに歯を食いしばって頑張っていればいつかはチャンスが巡ってきます。

他人の芝生は青く見えるかもしれませんが、頑張っているとチャンスは巡ってくるので腐らず頑張りましょう!

おまけ。内藤選手はプロレス以外ではこんなところでも見れる

内藤選手は大の野球好き、しかも広島カープの大ファンです。

カープが内藤選手の人気にあやかったのか、内藤選手からアプローチしたのかは不明ですが2017年からカープの著名人応援歌リレーに登場しています。40秒あたりから。

カープファンは見たことがあるかもしれませんね。2018年度の応援歌にも登場しており、自身が所属するロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンとカープのオリジナルコラボキャップをかぶっていますね。広島カープとのコラボグッズはたびたび発売していますが、どれも人気ですね。2分12秒あたりから登場。

更に、2018年はチャンステーマにも採用

内藤選手のテーマ曲「STARDUST」が広島東洋カープの2018年新応援歌に採用されたそうです。

「攻めろ!」※2018年開幕戦より使用。

今プロレス界ならずとも大注目の内藤選手!あなたも目を離さないでくださいね。

とってもオクパードでカンサードなところを長い記事に付き合ってくれてグラシアス。

でもこれってデスティーノだからさ、アスタ マニャーナ!

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井上 洋人

エーパシ

エーパシ・カイロプラクティック院長、井上洋人です。福岡県久留米市で姿勢改善専門院を経営しています。身体にいい運動や趣味のプロレス観戦やスターウォーズからの気づきを発信しています。趣味:プロレス観戦、映画鑑賞。妻と5歳の息子と暮らしています

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